2012年3月27日火曜日

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朝日新聞
女川原発 3・11その後 1
2012年03月25日
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001203250003

2012年03月25日
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女川原発=2月22日、女川町
ゴオォォと音が響いた。

 東北電力女川原子力発電所の心臓部、中央制御室。壁際に並んだ制御盤はボルトで床に留めてある。建屋が振動する音に、制御盤と床が共振する音が加わって、大音響となった。

 昨年3月11日午後2時46分、地震発生。

 女川原発は震度6弱の激震に見舞われた。原子炉は3基ある。1号機と3号機は運転中。2号機は定期検査で起動中だった。

 桜庭達幸・発電部長は当時「原子炉主任技術者」。運転を監督する技術者で、2号機の起動を見守るため、制御建屋=図中(1)=の中央制御室にいた。

 隣接する1、2号機の中央制御室は同じ室内にある。計12人の社員がいた。

 桜庭さんは体を机の下へ潜り込ませ、少しだけ顔を出し、上方にある1号機の制御盤を見た。

 原子炉の自動停止を知らせる赤色の警報ランプが点滅した。反対側の2号機のランプも点滅した。

 その後も揺れは続く。

 「これだけ長く揺さぶられて設備は大丈夫か。健全でいてくれよ」

 仙台管区気象台によると、大きな揺れは3分ほど続いた。

 揺れがおさまり、「はーっ」と息をついた。

 2号機の中央制御室側の天井約10カ所から蛍光灯をおおう格子状の金属板が落下。蛍光灯も落ちて、破片が散乱していた。

 1号機側では通路上の天井の化粧板が落ちていた。

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 建屋の中の放射線管理区域では309人が作業中だった。1、2号機は236人、3号機は73人。

 管理区域は放射性物質の使用場所で、入退室がきびしく管理される。汚染の危険度によってA~Dの4段階に分け、そこでの作業内容に応じて服装を変える。

 当時、高い汚染度に対応する「C装備」はおらず、比較的低い汚染度用の「B装備」の作業員がいた。

 B装備は青色のつなぎを着る。作業中に汚染される可能性もあり、放射性物質を外に出さないため、区域を出る時は脱ぐきまりだ。

 だが、3号機では、外へ出る前に全身の汚染の有無を測定する「体表面ゲートモニタ装置」6台が、地震ですべて動かなくなっていた。作業員 たちは測定せずに、B装備の青色のつなぎの服のまま外へ出た。建屋の外にあるプレハブの「リフレッシュハウス」(休憩所)=図中(2)=に集合し、線量を 測定。汚染はなかったという。

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 1、2号機の中央制御室では「ウォン、ウォン、ウォン」と警報音が響き、数々の設備の異常を知らせていた。赤いランプの点滅と緑のランプの点灯。どちらも同一の警告を発していた。外部電源の遮断である。

 原発は、電気を生む一方で、安全な運転には外の送電線から届く電気が欠かせない。原子炉を止めた後の安全管理にも、大容量の電気が要る。

 東京電力福島第一原発は、地震で送電線を支える鉄塔が折れ曲がるなどして外部からの電源を失った。

 女川原発に届く送電線は5回線。うち2回線は、避雷器が揺れで損傷して途切れた。1回線は、碍子(がい・し)という絶縁用の部品が損傷。もう1回線は震災後の広域停電により失われた。

 女川原発への送電は約30時間にわたって1回線だけになった。が、のちに、この1回線も盤石ではなかったことが明らかになる。

 約1カ月後の4月7日。最大震度6強の余震で、この1回線が失われた。

 揺れに強いタイプではなかったものの、本震で損傷しなかったので交換しなかった碍子が、損傷したためだった。この時は震災で損傷した1回線が復旧していたため、外部電源は維持された。無数の部品により、送電は支えられている。

 原発には、外部電源のすべてが途絶えたとしても、ディーゼル発電機による非常用電源がある。

 経済産業省原子力安全・保安院の職員は「外部電源を失った場合の訓練は積んでいるので不安はない」と断った上でこう語る。「非常用電源を10日間以上使い続けられるか。長時間運転はしたことがないので、復旧が遅れた場合、非常用電源の信頼性はわからない」

 まもなく、その一部も、津波により失われることになる。

 が、その前に中央制御室では、思いがけない事態への対応を迫られていた。

 ◇

 東日本大震災の震源地に最も近かった原子力発電所は、東北電力女川原発だ。東京電力福島第一原発は史上最悪のレベルの事故に至ったのに、なぜ助かったのか。女川の「3・11」と「その後」を検証する。(小野智美)


女川原発 3・11その後 2
2012年03月26日
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2012年03月26日
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昨年3月11日。

 午後2時46分の本震のあと、東北電力女川原発の原子炉のすべてを管理する中央制御室では「ウォン、ウォン、ウォン」と各種の警報音が鳴っていた。

 1、2号機の中央制御室を併設した部屋で、原子炉主任技術者の桜庭達幸さん(現・発電部長)はヘルメットをかぶって自ら担当する2号機の作業にとりかかった。

 警報音を一つずつ確認しながら消していく。中央制御室が少し静まってきたころだった。

 「ピー」。火災報知機が鳴り続けていた。1号機からだ。

 1号機の火災報知機は複数の箇所で鳴っていた。

 地震で揺さぶられた建屋のコンクリート壁から粉じんが舞い、誤作動した火災報知機もある。

 経済産業省原子力安全・保安院の説明によると、中央制御室では火災報知機のリセットを始めた。ボタンを押して警報音が鳴る状態を解除しても、本物の火災ならば再び鳴るからだ。

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 タービン建屋の地下の火災報知機は、午後2時57分に鳴り始めていた。午後3時半に発煙を確認した。

 中央制御室から119番に通報しようとした。しかし、NTT回線も消防に直通するホットラインも津波により通じなかったという。事務本館=図中(1)=の緊急対策室に連絡し、そこから衛星電話で119番にかけた。

 石巻市の広域消防本部は午後3時台に75件の119番通報を受けていた。4回線でしか同時に受けられない。対策室からの電話が通じたのは午後3時41分。だが1分後、同本部から電話が入った。

 地震と津波被害で向かえない――。

 女川原発の自衛消防隊消火班11人がタービン建屋に入ったのは午後4時14分。

 火災報知機が鳴ってから77分が経過していた。

 原子力安全・保安院によると、避難先から集合するのに時間がかかった。東北電力によれば、消火班は体育館=図中(2)=前に避難していた。

 防火服や空気呼吸器を着けてタービン建屋へ。装備は、建屋前や高台の保修センター前=図中(3)=に分散して置いていたものを集めた。

 しかし煙により火元は特定できず、午後5時までに全員が建屋から外へ出た。午後5時15分、遠隔操作で二酸化炭素による消火を始めた。18分後、排煙機を設置。30分後、消火班が再度タービン建屋に入った。

 午後6時37分、地下1階の高圧電源盤を火元と推定し、午後7時43分に確定。午後8時23分、粉末消火器7本で消火。午後10時55分、消火を確認した。

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 この火災で1号機は、外の送電線から届く電気が使えず、非常用電源を使って原子炉を冷やした。1号機に外の送電線から電気が届いたのは、翌12日午前2時5分だった。

 火災の原因は電源盤の中の遮断器が揺れて火花が生じたためだ。上からつり下げる型で揺れやすかった。これを機に、原子力安全・保安院は、東北電力を含む5社が揺れやすい型を置いていたことを把握。各社は順次、揺れにくい型に交換していくという。

 そのころ2号機では、津波により原子炉建屋の付属棟に押し寄せた大量の水を排出する作業に追われていた。(小野智美)

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