沖縄密約訴訟:「大勝利だが大敗北」原告側、一定の評価も(毎日新聞から全文引用)
沖縄密約訴訟:「大勝利だが大敗北」原告側、一定の評価も
(毎日新聞から全文引用)2011年9月29日 21時53分
密約は確かに存在したが、その文書は今はない--。沖縄返還の際の日米密約を裏付ける文書の開示を求めた訴訟の控訴審で29日、東京高裁は情報公開法制定(99年5月)前に国側が廃棄した可能性を指摘した。原告側は「大勝利と同時に大敗北」と表現。「情報公開法の精神が踏みにじられた」と批判のボルテージを上げた。
判決後、原告・弁護団は東京・霞が関の司法記者クラブで会見。原告の元毎日新聞記者、西山太吉さん(80)は「特定の職員が特定の方法で管理し、廃棄した可能性に踏み込んだ。1審よりもドーンと進んだ」と一定の評価をした。だが、次第に「判決は『捨てたんだから、ないものはない』と言い、廃棄について遺憾の『い』も言っていない」、「司法の独善、限界が露呈された。情報公開とはそんなものか」と机をたたきながら、語気を強めた。
一方、上告について原告団は「検討する」と述べるにとどめた。
原告団は1月、作家の澤地久枝さん(81)を代表に「市民による沖縄密約調査チーム」を結成し、開示された4500ページを超える外交文書を分析した。開示された文書は、沖縄返還交渉段階のものが多数を占め、財政負担が発生する最終的な合意段階の文書が欠けていた。このため原告側は廃棄の可能性も念頭に「不合理だ」と控訴審で主張した。
澤地さんは会見で「これまで外務省は一枚岩となって密約文書の存在を一切認めてこなかった。裁判所はその外務省を救った。実に内容のない、お粗末な判決」と批判した。【野口由紀】
◇「裁判した価値はあった」北岡和義さん
72年に国会を震撼(しんかん)させた沖縄密約事件の「現場」に居合わせた原告の一人は「乱暴な判決だ」と憤りを隠さなかった。日本大国際関係学部非常勤講師の北岡和義さん(69)=静岡県熱海市。当時、社会党の横路孝弘議員(現衆院議長)の公設第1秘書だった。
72年3月27日の衆院予算委。横路議員は毎日新聞記者だった西山さんから入手した機密公電のコピーを手に密約疑惑を追及、北岡さんは傍聴席で質疑を見守った。報道陣のカメラのフラッシュが一斉に光った光景を今も忘れない。
30年余りが過ぎた05年春。米国でニュース番組制作の仕事に携わっていた北岡さんは、知人から西山さんが国家賠償を求めて提訴したと聞いた。西山さんは事件後、長く沈黙を守っており、その行動に「正直驚いた」。議員の質問は「不発」に終わり、「道義的責任を感じた。西山さんの復権のため支援しよう」と帰国した。
司法が初めて「密約」を認めた1審。原告側が訴訟で追求したのは「国民の知る権利の実現」であり、西山さんも会見で「画期的判決」と興奮気味に意義を強調した。だが、北岡さんは「記者人生を終わらせざるを得なかった西山さん個人の憤りや喜びをもっと聞きたい」とも感じた。
逆転敗訴で迎えたこの日の会見で怒りをあらわにする西山さんを見ながら「個人的な悔しさがこみ上げてきたのだろう」と語る。だが、北岡さんはこうも思う。「訴訟を通じて密約があったことを社会に知らしめ、西山さんも十分に復権できた。その意味で裁判をやってきた価値は消えない」【和田武士】
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